「ギリシャ」の観光地と「日本」の観光地の違い
学生時代に初めての海外旅行に行きました。
行先はギリシャで、遺跡を歩いたり、島で海水浴をしたり、中世の教会を訪ねたりと、どちらかというとアウトドア中心の旅行でした。
そうした観光地で過ごして感じたのは、素のままで目的の物件を味わえるということです。
たいていの日本の観光地には、広告の看板や放送がつきものです。
趣旨としては「ご当地名物を買ってください」「危険なことはしないでください」「当地は○○が売り物です」等の宣伝や広報です。
こうした情報は、よく知らない所、さほど思い入れのない所なら、ご当地を楽しみやすくしてくれる機能があると思います。
しかし、それなりに思い入れを持っている所なら、雑音なしで静かにその場の空気を味わいたいものでしょう。
「余計な看板などが無ければ、もっと洗練された雰囲気になるのに」「じっくり古(いにしえ)の雰囲気を味わいたいのに」と思うことが少なくありません。
また一概に看板が悪いという訳ではないのでしょうが、看板どうしの統一感がないのも、その場の雰囲気を落ち着きのないものにしているように思います。
「何もない」のが素晴らしい!
その点、私が訪ねたギリシャの遺跡は素っ気ないまでに「遺跡だけ」の観光地でした。
案内表示はあるのですが、お土産を売ることを主目的にしている売店や、案内放送、商業目的の看板などは見当たりませんでした。
晴れ渡った空の下、広々とした野外空間で、ぽつぽつと残っている大理石の遺構の間を歩きながら、遺跡の雰囲気に集中して過ごせました。
古代遺跡には全く興味がなかったのですが、この余計なものを排した場は非日常な気分を味わえて、満足感の高い時間を過ごせました。
「シンプル」に観光地を楽しめる事の大切さ
もっとも私が訪ねたのが、さほど有名ではない遺跡だったからかもしれませんし、現地の言葉が読めない分、受け取れる情報が少なかったのが幸いしたのかもしれません。
そうはいっても日本の観光地は、目当ての物件をシンプルに味わえるようにする配慮が足りないのではないかと感じます。
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