あの『耳なし芳一』を書いたのは日本人でなくギリシャ人だった! | JOYJOY〇JAPAN
「耳なし芳一」。久々にこの物語を思い出す人も多いのではないでしょうか。
このいかにも日本的な怖さを持つストーリー、じつは著者は日本人ではなくギリシャ生まれの男性なのです。
作者の名は「パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) 」。
日本名は「小泉八雲(こいずみ・やくも)」と言い、日本をこよなく愛し、54歳の若さで世を去りました。
国籍はギリシャ(イギリス)と日本の2つで、お墓は東京にあります。
じつはこのラフディオカ・ハーン、「ろくろ首」や「雪女」の作者でもあります。
日本的な繊細な恐怖感をよく表していますが、まさか日本人以外の人が作者だったなんてオドロキです。
もともとは民話として語り伝えられていたストーリーですが、それを日本人妻の「セツ」から聞き取り、
物語にしたのがこの人なのです。
左目をケガで悪くし、白濁した目を隠すため、
写真に撮られるときはいつも伏し目がち・または右側の顔しか見せないスタイルを貫いたそうです。
ラフディオカ・ハーンは人間嫌いとされていますが、日本人のあいだに居るときのほうが心地よかったそうで、
日本をひどく愛好したと語られるいっぽう、最後はなぜか日本に幻滅したともいわれています。
いずれにしても、日本文学や民俗学、英語教育などの分野で多大な貢献をした人物として知られています。
耳なし芳一のお話、なんとなく記憶している人は多いでしょう。
「琵琶惹きが魔物から姿を見えなくするために、全身にお経を書いたが、
うっかり耳だけにお経を書き忘れ、魔物に耳を千切られたが声ひとつ立てず身を守った」
というような内容だったと記憶しています。
でもその前後のストーリーはよく覚えていないので、まとめてみました。
◆耳なし芳一の話◆
「芳一」という盲目の琵琶の名手がおり、とくに平家物語の吟唱が得意で有名だった。
貴人があるとき芳一の名を呼び、我が家で壇ノ浦合戦の様子を吟じてくれ、と頼むので、
手を引かれるままお屋敷の座布団に座り吟じたところ、聴くものは皆感動して涙を流した。
「残り6日間(計7日)夜ごとに弾いてくれ」と頼まれた芳一だが、芳一の住む寺の住職は怪しみ、
下男に芳一の後をつけさせたところ、芳一はお屋敷ではなく、なんと安徳天皇の墓前で壇ノ浦を吟じていた。
じつは芳一を呼び寄せたのは壇ノ浦に沈んだ死者の鬼火たちであった。
死者の言うままに吟じた芳一はいずれ八つ裂きにされる筈だ。
危惧した住職は、芳一の体全体、足の裏にいたるまで経文を書いて彼の身を守ることにした。
しかし、うっかり耳だけに経文を書き忘れてしまった。
夜になり、案内人が芳一を迎えにきたが、芳一は琵琶を傍らに置いて座禅を組んでいた。
鬼の目には芳一の耳と琵琶だけが映り、鬼は耳だけを殿様に献上すべく持ち帰った。
住職は芳一の耳から流れた血で滑り、自分が耳に経文を書き忘れたことを知り、悔いた。
芳一はこれがもとで「耳なし芳一」として有名になり、琵琶を吟唱してお金持ちになった。
無料の原文はコチラ ⇒青空文庫「耳無芳一の話」
今まで、芳一の敵がナニモノだったのか、芳一が最後にどうなったのか知りませんでしたが、
どうにかハッピーエンドで良かった・・・それにしても無残なお話です。
とても日本的で入り組んだお話ですが、とてもきれいにまとめられた怪談話ですね。
こういう日本的恐怖の感性を、ギリシャ生まれの男性が持っていたというのがすごい話だと思います。
ラフディオカ・ハーンはものすごく繊細なタイプだったそうで、それが物語に反映されているのかもしれません。