◆閲覧注意◆出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
切腹。
自刃(じじん)、割腹(かっぷく)、腹切りなどとも。
文字どおり、「腹を掻き切る」ことをいいます。
日本特有の自決方法で、「非常に勇敢で美しい死に様」と讃えられました。
出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/ ◆お芝居の切腹◆
ほか、切腹には「詰め腹を切る」という表現もあります。
なぜ「詰め腹」と呼ぶかというと、切腹の際に腸が腹圧で飛び出すから。
じつは腸は、おなかの中にギュウギュウに詰まっているもの。
それで「詰め腹」と呼ぶんです。
盲腸などで手術した後は、腸をおなかの中に戻しますが、
執刀医たちはこのとき、かなりチカラを要します。
腸周辺の腹部は、肋骨で保護されていないこともあり、
いったん飛び出した腸を戻すのは、わりと大変なのだそうで・・・。
ただ、腸はわりと適当な場所に戻しておけば、勝手にもとの位置に戻るらしいんですよ。
だから、とりあえず縫合するまでに腸をハラの中に詰めておけばOKだとかなんとか(笑)。
生々しいハナシですが、これが人体の現実なんですね。
というワケで、切腹すると、腸がぶちまけられ、無残なコトになるのです。
これが日本の武士道精神であり、大和魂であり、有終の美であった時代もあったんですね。
ただし、海外からすれば、この「切腹」ってものすごく異常な行為だったようです。
現代の私たちからみても、当然フツウの死に方ではありません。
ふつう自殺するとしたら、一番ラクな死に方を選ぶものですが、
わざわざ”なかなか死ねないハラキリ”で死のうとするワケです。
なにかよほどの理由や気合、精神力、肉体の強靭さがなければ遂行できない業です。
もしくは切腹の瞬間、脳が陶酔状態、恍惚状態(トランス状態)に陥っていたのか・・・。
【近代で割腹自殺を遂げた人物といえば、「金閣寺」作家の三島由紀夫氏】
出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
「割腹」という言葉でまず思い浮かべるのは、作家の「三島由紀夫」氏です。
1970年というかなり最近に割腹自殺を図っており、
非常に頭脳明晰な有名な作家ということもあって、世間に衝撃が走りました。
この人ほど日本人らしい精神を持った日本人は、「近年稀である」とされています。
写真は自殺直前の三島氏。
このあと、演説場であるバルコニーからきびすを返した三島氏は、
部屋に戻り、淡々と切腹を遂行。
作法どおり、介錯人による首の切断をもって、割腹自殺をやりおおせたといいます。
日頃から体を鍛えていた三島さんだからこそ、できたことなのかもしれません。
ある程度の体力や気合がなければ、切腹途中で意識が飛んでしまうでしょう。割腹自殺って、じつは死ぬまでに非常に時間のかかるものだそうです。
人間のカラダって想像以上にたくましいもので、下腹の皮や腸を斬ったくらいでは、
簡単に死ぬことはできない。というわけで、首を落とす「介錯」行為が必要とされます。
さらに、この「介錯」も至難の業だそうで、いくら丈夫な日本刀を使っても、
頚椎の骨はとても硬く、失敗することも多いのだそう。
うまく骨のスキマに刃が入ればいいんですが、
骨に何度も刃をぶつけると、切腹人の苦しみが長引くといいます。
ただ、あまり無様にもがき苦しむのは好ましくないとされていたので、
介錯人は、いかに早く首の骨を断つかということに、文字どおり”骨を折った”ようです。
昔の切腹では、介錯人の刀が首の骨に当たって刃こぼれし、
何度も首に刃を打ち下ろすハメになった、という事例もあるそうで・・・。
介錯人には介錯人の大きな苦悩があったようですね。
ちなみに、介錯の「じょうず・へた」もあったのだとか(これは怖い)。
心臓や首、喉などの急所を一突きするのではなく、わざわざやわらかい腹を切る。
しかもキリキリと、真一文字や十文字、ハネアゲなど、時間のかかる切り方でハラを掻き切る。
深々と、しかも時間をかけて切り裂けば切り裂くほど、『立派な死であった』となります。
<意識を失いそうな痛みと苦しみの中、切腹を最後までやり遂げる精神こそ、美しい>
この独特の美意識、日本特有のものだと感じます。
切腹とは、”死の恐怖に打ち克つ精神”に美しさを見出したものなのかもしれない・・・。
夜更けにそんなことを思う、切腹が怖い現代日本人の一人なのでした。
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