【日本人の若者に無神論&無宗教が増えている!これを海外では・・・】
あえて、タブーとされる宗教の話題について。
日本人の中でもとくに若い世代では、無神論&無宗教が増えています。
そのことが「良いか悪いか」ということはさておき、
宗教心を持っていることが多い海外の人々からすると、
宗教心を持っていないのって、すごく”不幸”なことらしいです。
「信仰する宗教がないなんて、どうかしてる!」
「生きる目標とか、どうしているの?」
とすごく”フシギなものを見る目”で見られることが多い。
たしかに日本にも、「信じるものは救われる」ということわざがあります。
これはもともとイエス=キリストについての言葉だそうですが、
実際になんらかの宗教を持ち、それを信じている人たちは幸福度が高いのだそうです。今は亡き私の祖父母も、非常に信心深いタイプでした。
「この世で善行・功徳を積むことは、来世での幸福に繋がる」と信じていて、
それはもう毎日に<ありがたみ>を持って生きていました。
「人間は神仏に生かされている存在」ということで、
”日々を平穏無事に送れるのは、神仏のご加護のおかげである”
という考え方だったように思います。
それをココロから信じられる、というのは、確かに幸せなことのように感じます。
だって、信仰心があるということは、揺ぎない心の拠りどころが約束されているんですから。
信仰の種類によっては、あの世の幸福まで約束されていることもありますよね。
だから、今生ではそれを信じて、清く正しく生き抜くことができる。
それって、ものすごく生きるパワーになりますし、幸福感も増しそうです。
じゃあ、無神論&無宗教の人々は不幸なのか?
私はそうは思いません。なぜなら・・・
【日本には昔から、「八百万(やおろず)の神」の考え方がある】
日本人の精神には、おそらく”目に見えない、隠れた宗教心”のようなものがあります。
それは、「森羅万象に魂が宿る」というものの考え方。
これを無神論とするかどうか、意見が分かれるところですが、
私はこの八百万(やおろず)神の考え方、とてもいいと思います。
唯一神や具現神を崇めるのではなく、「すべての事象に神性が宿っている」というもの。
これって、日本人のモッタイナイ精神に通じると感じます。
どんなものごとも大切にする、おそろかにしない。
山にも谷にも海にも、目の前にある物質1つにも、
それぞれに魂が宿っている、というモノの見方。
日本ではこれを、「八百万(やおろず)の神」といいますよね。
ちなみに、なぜ「八百万」という数字なのか?じつは、日本でいう「八」の数字は、”すべてのもの”という意味を持ちます。
(例:八百屋、八方美人、八方塞など)
そこに「百万」の数を足すことで、「数多くの」という意味を付加しています。というわけで、
日本人は一見無神論者が多そうに見えるんだけど、
じつはこういう精神を無意識に、数多くの人が持っていると言えます。
でも、信じるものがあるもよし、なくてもよし。
何を崇めるかも、各個人の自由だと私は思ってます。
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