【日本古来の「和の精神」、そんなにステキなものなのか疑問!】
私は、海外&日本を比較できるほど、海外のことは知らない人間です。
もちろん、自分の住んでいる国は大好きだし、誇りもあります。
国土は狭いながらも清潔で住みやすいし、気配りのできる忍耐強い国民性も好き。
でも、やっぱり窮屈に感じることも多々あります。
それは、根強いヨコ並び思想!とってもメンドクサイ(笑)。
日本も「個性の時代だ」と言われ始めてずいぶん経つんだけど、
そのわりにまだまだヨコ並び思想&同調圧力の強い国民なんだなぁ、とよく感じます。
ちょっとした会話の端々にも、「なぜ私たちと同じようにしないの?」というように、
”みんな同じである”ことを求められる。マイナーかつ「大多数と異なる価値観」を持っていると、
「それって変じゃない?」「信じられない」などと批判をくらうこともしばしばです。
それが”誰にも迷惑をかけない価値観”であったとしても、です。
さいきんよく思うんですが、個人主義の時代といいながらも、
けっきょく日本人は、他人と同じが一番安心するものなんでしょうか?
海外ではそういう圧力ってないのかなぁ?だとしたら、すっごく羨ましい!
真の意味で個性が重んじられる国に、私は住んでみたい。
ものすごく心安らかに、のびのびと暮らせそうです。
【聖徳太子が言った言葉「和をもって貴しとなす」の真の意味は?】
日本人は、とにかく”和”を大切にします。
「全体に調和すること」。これが大事なんです。
集団からはみ出さず、個性を出しすぎず、みんなの中に溶け込む。
これが貴い「和の精神」だと、我々日本人は教わって育った。
私もそう信じてやまない子供でした。だから、調和を重んじてきました。人とぶつかりそうになると、和を乱したくないあまりに、
「自分さえガマンすればいい」と思い込み、
その場を丸く収めようと努力してきました。それが正しいと思っていたから。
でも、これって本当に”和の精神”なんでしょうか?
大人になった今では、コレ、ただの事なかれ主義のように思えてなりません。
日本人の悪いクセで、ちょっと他人が人と違うことをすると、
ものすごく批判し始めるんですね。たとえば、特殊なスポーツで目立ったり、
人と違う珍しい才能を活かしてハツラツとしていると、「出る杭」として打とうとするんです。
(↑私が打たれたわけではありません笑)
ただ、ヨコ並び思想が行き過ぎた悪い例だと思います。”和の精神”、これは日本人の美徳と言われています。
でも、「個人の思いや個性を押し殺して、みんなと横並びになる」のは”和”ではない気がする。
もちろん、人と人とが仲良くするのはいいことなんです。
でも、ときにはぶつかり、意見もし合って、その上で「和」を重んじることが
現代の世では大事なんじゃないかな?と感じます。
日本は鎖国の時代が長かったので、美徳すらもガラパゴス化が進み、
他国には理解しがたい、独自の感覚が身についてしまったようです。
でも、今はグローバル社会。
聖徳太子の”和”と、現代の”和”のあり方が別物になっているのは確かだと思います。
思いやりが行き過ぎて、個性や感性を押し殺してしまいがちな日本人。
もうちょっとのびのびと生きたいものですね。
海外のマネをするばかりが良いわけではありませんが、
いろんな価値観や生き方に寛容な海外のいいところを取り入れるのもいいかもしれませんね。
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