【新撰組に次いで人気の赤穂四十七士浪人。事の発端は「意地悪」!?】
俗に「赤穂事件」と呼ばれる、有名なかたき討ち。
「忠心のためとはいえ、47人も死んだなんて・・・」と悲しくなりますが、
実際には何人か途中で逃げ出していた、という話です。
さて、赤穂事件は忠臣蔵などの作品化で広く知られた500年ほど前の事件ですが、
私、恥ずかしながら詳しく知らなかったので、
大石内蔵助を祀る「大石神社」に足を運んでみました。
大石神社入り口の門。二つ巴(ふたつどもえ)の大石家家紋があります。
この柄は「水の流れを表す」、「陰陽道を表す」などの説があります。
ところで、歴史というのは尾ひれがつきやすいもので、
歴史上の偉人のエピソードや美談には、何かしら手心が加えてある場合が多い。
たとえば父親が歴史上の人物だったとして、その息子は父の偉大さを讃えるため、
ちょっと話を盛る、くらいのことはするでしょうね。
そんなこんなで、美談はどんどんオーバーになっていくワケです。
この赤穂浪士の事件にも、そんなニオイがしないでもない。
大石神社には、47人の義士たちの木像が展示されていて、
ひとりひとりの人柄や特徴などが書かれてたので、順々に読んでみたんです。
なんという美男子率(笑)。
容貌を褒めるだけでなく、
「文武両道」「詩才/楽才あり」などの説明書きが本当に多かった。
もちろん、事実もいっぱいあるのでしょうが、
47人のほとんどが褒め殺しレベルだと、どこまで真実だったのか分からなくなる(笑)。
そして、肝心の赤穂事件の発端である人物、
「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」と「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」。
この2人についても、ほんとうにナゾが多いんですね。
【職場のイジワル上司に斬りかかった部下?浅野内匠頭の怒りのナゾ】
出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
(上)お家断絶となった浅野家家紋
江戸時代。高家旗本というすごく高い地位にあった吉良上野介。
この人物、心づけ(賄賂)が大好きだったというハナシです。
でも、賄賂をいっさいしなかった赤穂藩主・浅野内匠頭は、
この人から日ごろしょうもない意地悪を繰り返され、
ブチ切れた浅野内匠頭は、ついに刃傷沙汰に及びます。
「たび重なる意地悪に耐えられず」
と大石神社には説明書きがありました。
現代で言うと、「職場のイジワル上司に、社内で斬りかかった部下」?
でも、いくら意地悪が続いたからといって、斬り殺そうとするなんて、
ちょっと行きすぎな気もします。しかも、身分制度が非常に厳しかった時代、
下の者が上の者に斬りかかれば、死は確実。累は家族にも及びます。
もちろん「積もり積もった恨みで」ということもありえなくはないけど、
雲の上レベルのお偉いさんに斬りかかるって、この時代はよっぽどのコト。
出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
(上)悪人とされる吉良上野介のお墓
この赤穂事件の刃傷事件には、いろいろなウワサがあります。
「吉良上野介はそこまで悪人ではなかった」という説や、
2人の間に行き違いがあったという説・・・真実はナゾだらけです。
そしてその結果、切腹になった浅野内匠頭のかわりに、
(上)大石内蔵助とその息子・大石主税(おおいしちから)の人形~大石神社内撮影
家臣である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめ、
47人の義士がたちあがるんですね。
この47人という数字は、直前に脱盟したものを除く人数らしいですが、
さらに47人の中にも逃げ出したものがあったとかなかったとか・・・。
これも真相は闇の中。
理由あって切腹を免れ、80代まで生き残った義士も1人いるようです。
(⇒これは正当な理由によるもの)
ともあれ、ナゾの多い返り討ち事件。とても興味深いです。
スポンサードリンク